戦国時代からの治水対策


個人的にここ数年、テレビで時代劇をよく見るようになった。 「鎌倉殿※※」や「##家康」などなど、戦国時代の武将が天下統一を目指し、乱世を生き抜く物語である。

 この時代の武将の名前を国土交通省のホームページ(HP)で見つけたので紹介したい。 水管理・国土保全局のHPに“日本の河川技術の基礎をつくった人々”と題し、武田信玄や豊臣秀吉、加藤清正など名だたる名将の治水対策の取組みを紹介している。

 武田信玄は“信玄堤”と言われる堤防や遊水機能などを持つ、総合的な治水事業を行っている。 豊臣秀吉は、大阪城周辺に“太閤堤”など築き、淀川の流路を安定させた。 加藤清正は、熊本城主として河川の付け替えなどの大事業を展開し、治水・利水事業に力を注いだようである。 

 時代変わって、現代の河川行政は「河川法」に基づく行政運営を行ってきている。

 明治29(1896)年の旧河川法が制定され、戦国武将が主に行っていた“治水”を、法の下で、洪水対策を取り組み始めている。 

 約70年あまりもの期間、この旧河川法による治水対策を行ってきた後、昭和39(1964)年に“利水”の考え方が加わった。 高度経済成長を背景に治水中心の河川整備と合せ、親水空間としての階段護岸や修景を意識した整備が実施されることとなる。

 さらに平成9(1997)年に“環境”のキーワードが新たに加わり、従前洪水対策第一としてコンクリートで固める治水対策から、動植物に配慮した自然環境や、人々が過ごしやすい河川空間など、住民の意見を反映した河川整備へと展開してきている。

 戦国時代の「水を制する者は、国を制す」の意味合いが、現在は異常気象による水不足やゲリラ豪雨、動植物の生態系の変化、住民目線など、いろいろな視点から、河川を考える時代になってきている。